炭坑節解説 -炭坑節とその元唄-
昭和七年、後藤寺町検番の歌二ら三人の芸子らが日東レコードに「炭坑唄」を収録したのが炭坑節レコード化の初めである。その前年の昭和六年、隣接する伊田町でも選炭唄をレコード化しようとする動きがあったが、実現にまでは至らなかった。〔後藤寺町と伊田町が合併(昭和十八年十一月)したのが現在の田川市。〕
炭坑節は炭坑町の発展に伴い、炭坑労働の中で自然発生的に生まれていた仕事唄が宴席に持ち込まれ、やがて両町の花柳界で選炭唄に三味線の伴奏がつき、洗練されつつ座敷唄として歌われるようになったものである。大正から昭和初期にかけて筑豊の炭坑主たちが博多・小倉などの料亭で豪遊することもあって、宴席では欠かせぬ唄となり、やがてラジオを通じて全国にも知られるようになった。炭坑節が爆発的に広まったのは戦後、「戦後の復興は石炭から」という国策に添って、この唄が毎日のようにラジオで放送され、その軽快なメロディが一般にも親しまれ、やがて盆踊り唄にまで歌われるようになった。
(監修 田川市石炭・歴史博物館 編集 船瀬高子)
正調炭坑節
| 香春岳から 見下ろせば 伊田の竪坑が 真正面 十二時下がりの サマちゃんが ケージにもたれて 思案顔 サノヨイヨイ
奥に咲いたる 八重つばき なんぼ色よく 咲いたとて サマちゃんが通わにゃ 仇の花 サノヨイヨイ |
月が出た出た 月が出た 三井炭坑の 上に出た あんまり煙突が 高いので さぞやお月さん 煙たかろ サノヨイヨイ 格子窓から 月がさす サマちゃんの寝顔の 愛らしさ はずした枕を すけさしょか 思案なかばに 明けの鐘 サノヨイヨイ |
